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2005年 09月 27日
● やっぱり以前に山田風太郎『戦中派不戦日記』を読んでいるので比較してしまう。一学生と、一文人の差異はでかい(両者の性格の違いもあるだろう)。
● 百間先生は淡々と生きていて、戦争そのものに燃えたぎるような怒りやとまどいを覚えてもいない。玉音放送を聞いてもわりに冷静である。 あと、若いってことはすごいことだし、それだけで生きていくのがしんどい面もあると再認識(感性が鋭ければの話だが)。山田誠也みたいな性格だと、青年期はそれこそ硝子の破片を抱いて歩いていくみたいなところがあっただろう。やっぱり二十三歳の彼の感性は鋭いな、と。 ● おお、百間先生から話がそれる。 やっぱり記述が多いのが空襲と食べ物。人間ってやっぱり食べ物がないのは相当きついことのようだ。当然のことだけれども。インパール戦線では塩分不足で互いの背中を舐め合う地獄だったというが、そんな状態で闘うように強いられたのだから惨い。 腐った米を洗って食べて乞食以下だと自嘲的に書くあたり、戦慄のようなものをおぼえる。 ● でもどこか飄々としているのが百間先生。焼き出されて飲んだ酒ほどうまいものはないとか、缶詰を盗んだ濡れ衣を着せられたときは疑った相手をしゃもじと呼んでみたり(昔の日本人は心が清らかとかよく聞くが、どうも全部がそういうわけではないらしいナ、しゃもじさんなんか。衣食足らず礼節を知らぬ日本人、今は衣食足りても礼節を知らんのだが)。 ● 先生の飲酒癖。まだ酒を知らなかった誠也青年はせいぜいタバコ不足に悩んでいただけだが、百間先生は酒の確保にも苦労していたようだ。なんといっても酒の原料は穀物。酒にするなら兵隊さんにというわけで相当な苦労もさもありなん。それでも一杯やめられないのが飲んべえの悲しさ。だがこれを滑稽ともいえまい。
by kizurizm
| 2005-09-27 22:47
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